「クラスの適正規模に関して①」のつづき
なぜ、「1クラスの生徒数が6~10名」というのが適正規模だと、私は考えるのか。
その理由は以下の3点です。
1. 子どもたちが英語を学んでいるのは、決して「先生から」だけではなく、先生が他の生徒と話しているのを聞いている時であったり、他のお友達が発した言葉からであったりします。したがって、生徒数が少ないと、そうした機会も少なくなってしまいます。
"先生から(のみ)学ぶ"という考え方は、学びの一側面しか見てないことになると思います。
2. 考え方は「割り算ではなく、掛け算!」。
"少人数制が良い"理由として、次のように説明する方がいます。
それは、「先生が1日に話す量を10とすると、その10を生徒の数で割った割合が、生徒一人が学ぶ英語の量なのだから、少なければ少ないほど得るものが多くなる」というもの。
下の図の左側がその考え方を示したものです。
つまり、先生の話す量が10のとき、1クラスの生徒が2名だとすると、10を仲良く半分に分けて一人5ずつになるというのです。
「なるほど!」と言いたくなりそうですが、果たしてそうでしょうか?
クッキー1枚を半分に分ける場合はそれでよいと思いますが、このケースはそれと同じことが言えるのでしょうか。
私は正しくないと思います。
まず、(先生にもよりますが)10人程度の生徒数ならば、一人の先生が十分に指導することができます。(以前は、6人でも多いという先生や意見がありましたが、今は10人程度はしっかり指導できる先生方ばかりです)
その場合、先生は一人の生徒に対して10話したり、問いかけたりすることができます。(できなければなりません。)
その時、一人の子どもが受け取る量は先生がその子に発した10だけでしょうか?
違うと思います。
先生が6人の生徒に対して10ずつ発した時、他の生徒も聞きながら同時に学んでいるので、子ども一人が受け取るのは60(6人×10)なのです。
それを示したのが上の図の右側です。
公式(!?)にすると、次のようになるでしょう。
[生徒一人が先生から話を聞き考える量] = [先生が生徒一人に話しかけ、問いかける量] × [生徒の人数]
この点に関して、次のような反論があるかもしれません。
1クラスに生徒が2名しかいない場合は、先生は一人に対して30ずつ与えることができるのではないか?と。
一人の先生が準備できる時間的量には限界があります。
生徒が多くても、少なくても、準備する時間はほとんど変わりません。
したがって、生徒が2名しかいないからと言って、先生は30の準備をすることは通常できないのです。
逆に、生徒数が少ないと、クラスの中の話題や関心などもその生徒数と同じ程度になります。
したがって、先生がどんなに優秀だとしても、また10をどんなに膨らませることができたとしても12程度にしかならないのです。
生徒が10人いると、一つのトピックでも10人分の話題や関心がそこにはあります。
先生の質問の内容が、例え同じものであったとしても、答えは10人分。
そこでは、さまざまなボキャブラリーも飛び出し、子どもたちはいろいろな言い回しやボキャブラリーを聞いて覚え、別の機会に使います。
以上、少人数の場合と比較しながら話してきましたが、ただ単に、多ければ良いというわけでもありません。
1クラス25~30人の規模(一般的な幼稚園や保育園はこれぐらいの園児数です)だと、正直言って、一人の先生が生徒一人一人個別に見ていくことは非常に難しいと思います。
どんなに優秀な先生だとしても、大規模なクラスで一人に10を発することは難しいでしょう。
3. 良い意味で、周りとの競争意識が芽生え、先生に褒められたお友達の真似をして、同じように英語を話してみたりする姿が見られます。
「クラスの適正規模」 - 私の考え方の他にも、もちろんいろいろな考え方があることでしょう。
少なくとも私は、1クラス6~10人程度がその適正規模だと考えています。
また、経験を踏まえてさらに言うならば、園の中にはクラスが複数あり、先生も多い方が良いと思います。
それによっていろいろな英語(人によって使う単語や関心が異なる)を聞くことができるし、また、先生のこれまでの経験や学んできた知識も一つではなく、複数になり厚みと幅が出てくるからです。
一人の先生だけだと、どうしても、その先生の限界が、子どもの学ぶ限界となってしまう恐れがあるように思います。
先生の数、1クラスの園児数、そうした要因が子どもたちにどれほどの好影響や悪影響を与えているのか。
これを考えることは非常に難しいことですが、大切な問題であり、今後ともこうした問題には真剣に取り組んでいくべきだと考えます。